一日だけできた。たしか、音声入力した結果が何処かに残っていたはず。それを見つけて、ノートに貼り付けておこう。
見つけたこと:
- 「私は安心した。」と短く書くのは素敵だと思った。切り替わりでぱっと区切るのは好き。
- 「お湯が蛇口から勢いよく流れ出る」は、最初に読んだとき違和感を感じた。4つにただ区切られている感じが退屈。
- 区切るとしたら、ほかがもっと長く書かれていたほうが好き。区切る感じが全体に飽和してて、つまんない。
- 「見てみると、風呂の栓が開いていたので閉めた。」長ったらしい。風呂の栓が開いていた、という理由付けを無理にしようとしている。見てみると、が、風呂の栓が開いていたというのを気づくために無理やり入れている感じがする。「風呂の栓を閉めた。」だけでもいいかもしれない。お湯自身確証を持てなかった、というように命を吹き込みたいがゆえだが、それが無理筋かも。お湯が喋ってるみたいにしたいのなら、それを最後までやってみて、その後に考えるでいいかもしれない。
- 「いつまで経っても湯量が増えず、お湯自身確証を得られなかったのかもしれない」前半の「湯量が増えず」という文言は、私の目線で書いている話だが、「お湯自身確証を得られなかったのかもしれない」は、お湯が喋ってるみたいに、お湯生き物目線で話してる。その齟齬があるように感じられる。
- お湯が喋ってる、という風に変なように表現することで特別に見られたいのかもしれない。天然アピールみたいにも見える。
- 「お風呂というひとつの生き物になる」ここは、少し唐突すぎる。というか、もっと広げたいことなのに、効果的な唐突さじゃない。ただ駆け足で進んだだけみたいな感じで、もっと詳しく描写したい。
- 「今まで楽しげに大雑把に浴槽を満たしていた」大雑把にというのを表現した過ぎて、少し効果的じゃなくなってる。大雑把にというのがなんかいい。大雑把ということに価値をおいているということを、表現したいのだが。
- 大雑把というのが悪いことだと思っている人に対して、楽しい=大雑把にということなんだぞ、ということを示したい。だからこう回りくどくなってる。
- 「気づけば」気がつくと、の方が良い。なんかいい。丁寧さが増してる感じがする。
- 「小さくうねり絡み合っている」これは好きだ。小さくというのと、うねる躍動感が同時にあるのが好きだ。
- 「触っていることに気づくことがあった」変な言い方をして、こういう認知なんだよっていう正確さを伝えようとしてる。気づくことがあった、ということが大事なんだ。いつの間にかそうなっている、そうじゃなきゃだめ、という話。それが大事。
- 「Clavinovaに触れている時間だけは陸に上がって呼吸をすることができた」息苦しかった、ということを伝えたいと言うのと、「陸に上がって」というところで比喩なんだぞ、ということを誇示したいように見える。海と陸とするなら、もう少し良いメタファーがあるかもしれない。風呂と洗濯とかはできるか?
- 「自動で演奏されるピアノを見て、私は弾いている身体を透かし見ることができる」自動で演奏されるというところが少し変。というか、演奏されるは、少し意味的で、もっと即物的に惹かれるとか、押し下げられるとか、物理的に何が行われているのかに基づいて書きたい。身体性をより強調している形で。身体性を大事にしたい。
- 「演奏」という言葉には、人が意味を持って演じているという意味が強い。だから、想像が繋がらない。自動で演奏されるピアノ、からぱっと「無人で演奏されている」というイメージに紐づかない。
- ひとりでに押し下がる鍵盤に導かれるように、透明なひとが浮かび上がる。こんな文言が好き。
- ちょくちょく、「他の人もそうだと思うけどね」って言ってて、特別だと思っていると思われたくないのがでてきてる。で、迂遠な形で特別だと思われたいという欲求が顔を見せてるわけ。
- 「まっさらな白鍵と黒鍵」だと、白鍵だけにまっさらがかかっているように見える。白鍵が白だから余計に。
- 黒鍵だけにまっさらという形容詞がついていたら面白く感じるな。これは別の話だけど。
- 押し黙った鍵盤たち、という方が良い。こちらにすべてを任せるような、そして、責任を感じさせるような。そういう表現がいい。物言わぬ鍵盤たち。
- 「ピアノ科の母親は、誇らしい優雅な演奏を見せた」これは好き。誇らしいと言うのが好き。
- 「Clavinovaは私の前でもう一度演奏を執り行う」これ、好き。執り行うというのが好き。でも、もう一度というのが長ったらしい。どうすればいいのかわからない。私の前で、というのもちょっと長い。
- 「音を恭しく連れてきてくれる」これは、ちょっと食傷気味かな。
お湯が蛇口から勢いよく流れ出る。床にぶつかり、ボトボトと音を立てる。「本当に大丈夫ですか?」と私に呼びかけてくる。見てみると、風呂の栓が開いていたので閉めた。いつまでたっても湯量が増えず、お湯自身確証を得られなかったのだ。 お湯が一定量止まると、お風呂という一つの生き物になる。今まで楽しげに大雑把に浴槽を満たしていた水の塊は、気づけば生き物に飲み込まれ、制御されるだけのものだ。小さくうねり、絡み合っている。細かい音だ。ピチャピチャと音すらも飲み込まれて、浴室の外の音が鮮明になった。ちょうど洗濯の注水が始まる音だ。私は安心した。この私は安心したっていうのはいいね。 だけど、お湯が蛇口から勢いよく流れ出るっていうのは、なんか4つに区切ってる感じがして、なんかそんなに良くない。4つに区切ってるんだったら、なんかもうちょっと他のところを区切らずにやりたいな。本当に大丈夫ですか?と私に呼びかけてくる。 これは別にそんな悪くない。見てみると、風呂の栓が開いていたので閉めた。なんかこれがちょっと変。見てみると、風呂の栓が開いていた。風呂の栓、見てみるとはいらないかな。覗き込むともいらない。 いつまで経っても湯量が増えず、湯量が増えずっていうのは、外側から見てるものなのに、 あのお湯自身確証を得られなかったのだって言って、視点がなんかぶれてんのがちょっと嫌だな。 で、お湯が一定量溜まるとお風呂という一つの生き物になる。これはなんかね、唐突な感じがする。 てか、唐突がずっと繋がっていて、唐突、唐突、唐突みたいな感じ。唐突はもうちょっとなんか引き立てたいよね。ここでは別に唐突に読んなくていい。 今まで楽しげに大雑把に浴槽を満たしていたっていう。今、その大雑把にっていうのは書かなくていいなと思うな。 気づけばじゃなくて、気が付くとの方がいいな。 気が付くと、生き物に飲み込まれて制御されるだけのものだ。小さくうねり絡み合っているっていうのは好きだけどな。 もうちょっとダラダラしてもいいかも、逆に。 実家の2階の寝室に古いクラビノーバが静かに佇んでいる。 その電子ピアノには自動演奏機能が備わっている。授業から帰った後に、ふと触っているのに気づくことがあった。 触っているのに気づくことがあったっていうのはなんか変だよな。変だけど、ちょっとよくわかんない。 給食袋と宿題に飲まれて溺れていた私は、クラビノーバに触れている時間だけは陸に上がって呼吸することができた。 クラビノーバに触れている時間だけは。うん。溺れていた私と陸に上がって呼吸するっていうのは、このね、水と陸の メタファーをもっと他のところで援用できたらいいな。面白いけどな。 自動演奏によって行われる演奏と、スピーカーから流れる演奏は全く異なる。自動で演奏されるピアノを見て、私は弾いている身体を少し見ることができる。 なんかこれちょっと、つながりが変だな。変に感じた。 その変に感じたっていうか、想像できなかった。うまく連想できなかった。 自動で演奏されるピアノを見て、演奏されるっていうので、なんか、人、人が 人が演奏してるみたいなのが強くなりすぎて、人の不在っていうのに行き着かなかったんだ。だから、勝手に、勝手に動く鍵盤とか、勝手に鳴り響く 鳴り響くというか、押されるわけじゃないんだよな。押すじゃなくて、一人でに押し下がる鍵盤とかそういうのがいいな。 鍵盤を見て、私は、私は、私は、ま、他の人もだと思うけどね、これは。弾いている身体を少し見ることができる。弾かれる鍵盤に導かれるようにして、この演奏を、この演奏を 演奏をこのピアノに刻み込んだみたいな。この演奏を録音したっていうと、別に録音って感じしないんだよな。自動演奏はなんか録音って感じじゃない。音を録、録してるんじゃなく、録音してるんじゃなくて、あの、 動きを保存してるんだよな。それがちょっと違うところ。 だから、自動演、うーん、この演奏を、この演奏を保存した人間の姿みたいな、そんな感じの書き方がいいな。 えー、真っさらな鍵盤と黒鍵を、あ、真っさらな白鍵と黒鍵を目の前にすると、私はうろたえてしまう。 真っさらな白鍵と黒鍵だとなんか、白鍵が真っさらって感じすぎるから、なんかちょっと違うな。やだな。 白鍵と黒鍵って言うとなんかあれだな。なんで白鍵と黒鍵って書いたんだろう。 真っさらな鍵盤、真っさらな鍵盤っていうよりなんか、押し玉っていうのみたいな方がいいな。なんか、物を言わぬ、物を言わぬ鍵盤を目の前にすると、私はうろたえてしまう。 ピアノ家の母親は、誇らしい優雅な演奏を私に見せた。一方、私はろくに曲も知らないから、鍵盤と睨み合う時間が生まれる。曲が弾けないと格好悪いから。 うん、これは、これはいいんじゃないかな。なんか結構いいんじゃないかな。クラビノーバは、私の前でもう一度演奏を取り行う。これ結構いいけどね。 私の前で、私の前でというか、私の前にあるクラビノーバはとか、まーどうだろうな、もう一度演奏を取り行う。鍵盤に指を預ければ、音をうやうやしく連れてきてくれる。