うちの近所の公園にマテバシという木がある。結構横長に広く咲いている、広く生えているような木で、家にあるパキラとは大違いなんだけど、なんか、 そのマテバシは、ま、横に結構広がるような木なんだけど、ま、そういう木なのかどうかは置いといて、私はなんかそうだったように思ってるんだけど、で、 あのなんだ、土手のさ、横に植えられてるんだよな。土手の横に植えられていて、土手の登ったところに植えられていて、で、 うん、ちょうどなんか、明るさの対局にあるところ、みたいな感じがして。明るさの対局にあるところっていうか、いつも公園に行くのが明るい時、太陽が眩しい時だから、逆にそのマテバシはすごい影の木というか、 うーん、影の木っていうか、すごい私を守ってくれている木。 みたいに感じてる。その木がさ、その木の真ん中にね、待てばしいって書いてあって、待てばしいっていうのもなんか面白いし、あと、たちつて、カタカナのテと、なんか、あれだな、待てちゃう、もう私やっぱ面白く感じるんだよね。そのカタカナで待てって書かれているのがすごい面白く感じる。待てばしいっていう木がある。で、その近くにビオトープがあるんだよな。ビオトープの中でなんか自由研究をしましょうみたいなものだったりとか、あと、石の石のタイルが八つぐらい敷き詰められてたりして。 で、陽が漏れないから、そこには木漏れ日がない。木漏れ日がなくて、だけど、外側の暑い照ってる日差しっていうのは痛いほどわかるんだよね。
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うちの近所の公園にマテバシイという木がある。
うちから歩いて10分ほどの公園の中央、テニスコートからほんの十数歩離れたところに、マテバシイという木が生えている。
広々と枝を伸ばして咲いている生えているような木で、家にあるパキラとは大違いだ。家にあるパキラはずっと室内に幽閉されている。長い間幽閉されている。私によって幽閉されている。リモートワークしかすることがない。だから、と書こうとしたが、リモートだから太陽の光に当たってないわけではなく、私がカーテンを開けなかったからだなあ、と気づいた。
外なんて、いいんだ。陽気であれ、ポジティブであれ、という人たちに飽き飽きしている。彼らは、ただ生まれもって楽観的な思考だけが湧いて出てくるんだろう。そういう人の言うポジティブにかんがえよう、というものほどくだらないものはない。それは、ポジティブに考えるのがいいのではなく、自身がネガティブな思考に弱くて、ただわがままを言っているだけなのだ。それを社会的な正しさで武装して振りかざしてくることに、嫌気がさす。
なんか、そのマテバシイは、まあ、横に結構広がるような木なんだけど、まあ、そういう木なのかどうかは置いといて、私はなんかそうだったように思ってるんだけど、で、 あのなんだ、土手のさ、横に植えられてるんだよな。
土手の横に植えられていて、土手の登ったところに植えられていて、で、 うん、ちょうどなんか、明るさの対局にあるところ、みたいな感じがして。
明るさの対局にあるところっていうか、いつも公園に行くのが明るい時、太陽が眩しい時だから、逆にそのマテバシイはすごい影の木というか、 うーん、影の木っていうか、すごい私を守ってくれている木みたいに感じてる。
その木がさ、その木の真ん中にね、マテバシイって書いてあって、マテバシイっていうのもなんか面白いし、あと、カタカナのテと、なんか、あれだな、マテ茶も私やっぱ面白く感じるんだよね。
そのカタカナでマテって書かれているのがすごい面白く感じる。
マテバシイっていう木がある。
で、その近くにビオトープがあるんだよな。
ビオトープの中でなんか自由研究をしましょうみたいなものだったりとか、あと、石のタイルが八つぐらい敷き詰められてたりして。
で、陽が漏れないから、そこには木漏れ日がない。木漏れ日がなくて、だけど、外側の暑い照ってる日差しっていうのは痛いほどわかるんだよね。